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沖縄経済の原形 沖縄における戦後経済の復興は独特です 戦後沖縄で使われていた通貨は「B円」と呼ばれるアメリカ軍の軍票です。アメリカ支配のもと、沖縄は内地とはまったく異なる特別なかたちで復興していくのです。 1951年アメリカは1ドル120B円のレートを固定します。この時代の日本円が1ドル360円だったことを考えるとB円はじつに3倍もの円高設定に固定されていたのです。 レートの固定以降、円高の恩恵をこうむった沖縄にはアメリカ製品を中心に欧米の輸入品があふれていました。産業が復興するより先に、安い外国製品が庶民生活のすみずみにまでいきわたるという現象が現れていくのです。 産業の整備がすすまない中、戦後の沖縄経済を支えたのはアメリカ軍基地でした。50年代の基地の拡張は兵器産業からサービス業、事務職にいたるまで基地の中のさまざまな産業を生み出します。基地には反対していても、沖縄の人々は基地の収入にたより輸入品で生活をするというゆがんだシステムの中で、内地とかけ離れた経済が作り上げられました。住民の生活は基地と深くかかわらざるを得なくなっていくのです。 1958年、B円が廃止され沖縄の通貨がドルにきりかえられると、輸入にたよる経済にますます拍車がかかるのですが、こうして、基地に依存し産業が育たないまま沖縄の戦後復興は続いていくのです。甲子園では沖縄尚学高校が悲願の優勝を果たし、2000年沖縄サミットも開催された現在の沖縄をごらんになる時、こういった歴史も頭にいれておくと、ちょっと違った沖縄が見えるかもしれません。 |